2025年の節分

2月といえば節分。

鬼は外、福は内と豆をまいて、恵方巻を食べることは知っているかと思いますが、その歴史や意味はご存じですか?

この記事では、節分の歴史、意味、豆の選び方からトリビアまで解説します。

節分2025

節分の歴史

節分の始まりは古代中国の「追儺(ついな)」という、大晦日(旧暦の12月30日)に疫鬼や疫神を払う行事とされています。追儺が日本に伝わったのは飛鳥時代。平安時代頃は宮中行事として取り入れられていました。

時がたつにつれ、徐々に宮中行事としての追儺は廃れていきましたが、日本各地の寺社が行事を継承し、庶民へと広がっていきました。そして、江戸時代には節分の豆まきが庶民に定着したと言われています。

大晦日なのに2月?と思われた方もいるのではないでしょうか。それは、旧暦が関係しています。旧暦のお正月は、冬から春に変わる立春を指します。立春の前日を節分(季節を分ける)と呼んでいた名残が残っているんですね。

2025年の節分は2月3日じゃない!?

節分といえば2月3日を思い浮かべると思いますが、正確には「節分は立春の前日」であり、暦の関係で1日前後することもあります。

2025年の立春は2月3日のため、節分はその前日の2月2日となります。

節分いつ

鬼とは何のこと?

鬼と聞くと、桃太郎のような架空の怖い生き物のイメージを持たれるかと思いますが、節分でいう鬼とは、「病気や災いを招くモノ=鬼」です。目に見えない災いはすべて鬼の仕業だと思われていたわけです。豆は鬼退治というよりは、邪気払いの目的でまいていました。

なぜ豆をまくの?

節分に豆をまくのはなぜでしょう。実は「魔を滅する(魔滅=まめ)」という言葉遊びのような形から、鬼には豆が効果的だと言われるようになった説があります。他にも、「毘沙門天が鬼の目に豆をぶつけて退治した」という逸話からともされており、説はたくさんあります。

大豆にはお米と同じように精霊が宿るとされており、お米よりも大豆の方が鬼にあたった時にダメージが大きいため、悪霊を祓うのに適しているという理由もあります。

鬼を撃退するために豆をまくのですから、鬼が現れる夜中にまくのが理想だといわれていますが、今では年中行事の意味合いが強いため、いつまいても大丈夫です。

どんな豆を使うの?食べていいの?

先にも書いたように、お米と同じように精霊が宿るとされている大豆を使うことが多いです。豆まき用の大豆は、炒った大豆の「福豆」を用意し、豆まきをする直前まで神様にお供えをする器である桝に入れて神棚でお供えしておきます。豆を炒る理由は「鬼目(まめ)を射る」という言葉遊びからきています。

地域によっては、落花生を使うところもあります。雪深い地域では雪の中でも探しやすいですし、殻つきのまままけば、食材を無駄にしないという事にもつながります。

福豆はもちろん食べて大丈夫です。「年の数だけ食べる」と言われますが、それは健康や長寿を願う日本の伝統的な信仰からきています。食べることにより、体の中から邪気を追い払うという意味合いもあるようです。

2025豆まき

伝統的な豆まきの方法

豆まきには伝統的なやり方があることをご存じですか?次の通りになりますので、次の節分にはぜひ伝統に倣った方法で豆まきをしてみましょう。

福豆を用意します。鬼は夜に行動するので、豆まきをするのは夜。そして、豆をまくのは一家の主になります。(一部では、年男や年女が豆をまく習慣もあります)豆をまく時は、窓や玄関を開けた状態で「鬼は外」と口に出しながら、家の奥の方から徐々に外に向かって豆を投げます。その後、鬼が入ってこないように急いで窓や玄関を閉めてから、「福は内」と言いながら部屋の中に豆をまきます。

豆まきをしなくていい!? 節分の雑学

ワタナベさんは豆まきしなくていい?

平安時代の源氏の武将だった「渡辺綱」は頼光四天王の筆頭剛勇で知られ、酒吞童子退治や一条戻橋で鬼の腕を「髭切の太刀」で切り落とした逸話があります。この話が鬼の間で広まり、渡辺綱の血筋を恐れて、ワタナベ姓には豆まきをしなくても鬼が近づかないと言われています。

豆まきの習慣がない地域がある

静岡県富士宮市の足形という地域には節分の豆まきの習慣がありません。地名にもなっている鬼の足形が残る橋があり、その橋は鬼が退治された場所とされています。物語は次の通り。

昔々、猟師の治兵衛さんが村の入り口の橋にさしかかると大きな鬼が立っていました。鬼は治兵衛さんに気付くと襲い掛かってきました。治兵衛さんが鬼に向け鉄砲を撃つと弾は鬼の腹に命中し、鬼は大きな音を立てて倒れました。しかし、一命をとりとめた鬼は橋から数㎞はなれた人里に現れます。清岩寺の和尚さんは鬼に「傷薬だ。」と火薬と火打石を渡し、火をつけて温めれば傷が治ると教えました。それを信じた鬼は住処に戻り、傷口に火薬を詰め、温めようと火打石を打ちました。すると爆発し、鬼はバラバラになって吹っ飛んでしまったそうです。

このことから、この地域には鬼は退治され、来ることはないというところから豆まきの習慣がないということです。

まとめ

節分の豆まきは、いろんな歴史と言葉遊びが織りなす行事だったんですね。

私が豊橋にきて驚いたのは、節分に菓子まきをして子どもが拾うイベントがあるということ。

こちらは残念ながらルーツを見つけることはできませんでしたが、今年の節分は子ども達にきちんと豆まきの説明をした上で菓子まきを楽しんでもらえたらと思います。